過去の風景



否定することは簡単。

でも

肯定することは難しい。







    毎日空を見上げるのが嫌だった。

  『本当』といやおうなく対面することになるからだ。

  この世界が嫌いだった。

  いや、ただ好きじゃなかっただけなのかもしれない。

  別段何があったわけでもない。

  悲しいことがあったわけでもない。

  つまるところどうでもよかったのだ。











 いてもいなくても、わからない。

 そんな人間があなたのそばにも一人くらい、いるだろう。

 確かに存在している。

 しかし、誰もそのことを覚えていない。

 しかし、誰もそれを認識していない。

 しかし、誰もそれを知らない。

 それは。

 まるで。

 さながら。

 亡霊。

 のような。

 そんな人間が。

 いないだろうか。

 私の周りには、いる。

 いや、いた。

 "彼"は、教室の隅に、或いは『あの場所』に座って、いつも本を読んでいた。

 静かに。

 彼は常時無表情で、無口でもある。

 笑った顔などみたことがない。

 本当にいたかどうか不思議に思うこともある。

 けれど。

 彼は其処にいたし、存在していた。

 彼と初めて会った、しゃべったのは、始業式からしばらくしたころだ。







「何を読んでるの?」  友達がトイレに行ってしまい、手持ち無沙汰にぶらぶらしていたら、本を読んでいる彼が目に入った

のだ。

 偶然にも。本当に偶然でしかなかっただろう。彼と話している人間を見たことがないのだから。

 彼は静かに、本から目を離さずに答える。

「本。」

 簡潔明瞭ではあるが、それでは、何の本だかわからない。

「じゃなくてさ。何の本を読んでいるのかってこと。」

 彼はゆっくりと本の表紙を開いてみせる。

 『葉隠入門』

「…難しそうな本だね。」

「かもしれないね。」

「どんな本?」

「定朝の人生哲学が書いてある。」

 定朝って誰だろう。聞こうとしたところで、友達が帰ってきた。

「か〜お〜り〜、どこ〜、何してるの〜。」

「あっ、ううん。今行く!」

 彼との話はこれだけだった。

 それでも、これでよかった、と思う。

 それからしばらく話すことはなかったし。

 話しかけようと思わなかったけど。

 また話したいと。

 そう思った。











  さて、私は人と接しているときが一番虚しく悲しく思うときだ。

  演技ばかりしている。

  臆病なのかもしれない。

  それとも、楽しんでいるのかもしれない。

  本心を出すことなんてない。

  或いは、本心なんてないのか。











 私は氷見香織という。二年B組。38番。

 自分ではそれなりにかわいいと思うし、少なくとも不細工とは思わない。スポーツはあまりできない

けれど、サッカーは好きだ。あまりうまくないけれど。成績は中の上、といったところ。可もなく不可も

なく、という感じだ。友達もたくさんではないにしろ、いた。

 それが。

 最近、告白された。

 A組の二階堂という人だ。結構かっこよかったし、性格もいいらしい。

 でも、私は彼のことを知らない。名前すら、知らなかった。

 それでは、私は付き合う気にはなれない。

 だから断った。

 別に、ここまでならよかった。告白されるののは嬉しいし自慢にもなる。

 しかし。

 しかし。

 困ったのは。

 その、二階堂という人のことを好きな子がいたのだ。その子は、いわゆる女子のグループのリーダー

で、力も強い。この年代の女子というのは、何処か他人に合わせて被害を減らそうというかなんと言

うかの節がある。

 仲間意識。

 そういうものだろう。

 そのリーダーが、二階堂君に私が告白されたのも、それを私がふったのも気に入らなかったらし

い。後から聞いたが、夜のうちに連絡網のような形で、クラス全員に回したとのことだ。

「氷見香織としゃべった奴は仲間はずれにする」

 と。

 告白の次の日には仲間はずれになっていて。誰に何を話しかけても何も答えてくれなかった。靴も

隠されたりした。他にも、いろいろ隠されたし。逆に、入れられた、ということもあった。

 何かは、言わない。いいたくない。

 別に私のせいではない。

 告白されたのが悪いということになれば、そもそも恋愛など成り立たない。

 では。

 告白した二階堂君が悪いのかといえばそうではないし。

 悪いのは。

 そのリーダだろうか、といえばそうなのだろうけど。

 表立って批判する気にはなれない。

 彼女は、よく言えば恋心。

 悪く言えば嫉妬心。

 そこからきたもの。

 そんなものは誰にだってあるし。

 そんなものは誰にだってない。

 クラスの人たちも悪いといえば悪いのだろうし。

 まあ、そんなことどうでもいいだろう。事実があればそれで十分。理由など要らない。

 それから、しばらくして、夏前のある日。

 私は校舎裏に呼び出された。

 あの有名な、校舎裏、だ。

 そんなわけで、私はここにいる。

 目の前には、数人の、クラスの女子とそのリーダーが。意味のわからないことをいいながら、おそら

く私を罵っているのだろうけど。

「あんた、何様のつもり!?」

 そういわれても、別に私は何もしていないし、したつもりもない。

「あんたのせいで…」

 何が私のせいなんだろうか。

 またしばらく言ったところで、かみそりを取り出す。

 おお、本当だったか。若者女性の武器。剃刀。って。そんなことを思ってる暇じゃない。さすがにこ

れはまずい。

「どこから切られたい?」

 どこも切られたくねえよ、と思う。切られて嬉しい奴はいない。いたらそいつはマゾだ。Mだ。

 と。

 突如、草が揺れる。

 人が現れた。

 それは、"彼"で、冷たい――いや、何も思わないような、そんな眼差しでこちらを見ている。

「あ、あんた、何よ。誰よ、あんた!」

 彼は、まだ覚えられていないらしい。いや、彼女等は知らないのか。

 本質的には同じでもこの違いは大きい。

「な、何かいいいなさいよ!」

 あせってる。動揺している。こんなとこを見られたからだろうか。それとも――

 そんな彼女たちが、なんかおかしかった。

「そんなことをして、満足かい。」

 質問するでもなく、侮蔑するでもなく、ただ投げかけた。そんな感じの言葉。

「な、……」

 泣きそうになっている。

 ここまで、ここまでくるときれるにもきれられないのだろうか。

 いやもうきれていたのだろうか。

「そんなことをして本当の君の願いがかなうのか。」

 答えのわかりきった質問。

 ゆっくりと、彼は告げる。

「でなければ、やめることだね。」

「っ〜〜〜―――っっ、」

 うめき声を上げながら、立ち去る。どうやら、泣いてしまったようだ。取り巻きたちもご丁寧に私を睨

んでから彼女を追う。

 しばらくして。

 お礼を言うべく声をかける。

「えっと、あの。ありがと。」

「別に。」

「ぬぅ〜、つれないなあ。もっと楽しく行かなきゃ!」

 間髪いれずに聞かれる。

「君は楽しいのかい。」

 そういわれると。

「いやさ、別に楽しくはないけれどさ、詰まんないと思うよりいいよ。」

 全て演技。そこから得た言い訳のようなもの。

「そうかも、しれないね……」

 そういって彼は空を仰ぐ。

 それに習い、私も空を見る。

 きれいな空。決して、綺麗というわけではないのだけど。

 目の前にいる彼の顔を見る。

 そこで気づく。

「綺麗な目の色だね。」

 空と同じ、スカイブルー、というのだろう。

「色素が薄くてね。」

 でも髪は黒いなあ、と思いつつ、

「いつもここにいるの?」

 顔をまったく動かさず、口だけ動かして、彼は答える。

「昼休みにはね。」

「何をしに?」

「本を読みに。」

 彼の右手を見る。何もない。

 左手を見る。文庫本サイズのものがある。

「この前とは違う本?」

 答えはない。しかしかすかではあるがうなずくのを確認し、肯定の意だと受け取る。

「この茂みに?」

 少しかきわけてみると、開けたスペースがある。四人ほどで足を伸ばしてもまだ余裕がありそうだ。

上を見るとちょうど樹で隠れて、木陰になっている。

 空を見ると木漏れ日がさして眩しい。

 暖かい。

 唐突に。

 唐突に、涙が出てくる。

 今までためていたものが流れ出したのだろう。

「うっ、う…ふぅーぐっ、ひっぐ…」

 少しのあと。

 近くに人の気配。

 彼はそこに本を読みに戻っていたようだ。

「泣いたほうがいい。」

 私は、彼のほうを見る。涙でぐしょぐしょになった顔で。

「つらいときは、泣いて洗い流したほうがいい。」

「あん、あんたなんか、に、何がわかるってい、うのよ…」

 まだ少し、泣いている。不思議と恥ずかしいとは思わなかった。

「わからないさ。でも、わかろうとすることはできる。そうだろう?」

 初めて聞く答えだ。

「それでも、話してくれないと、それすらできない。片方だけじゃ、無理さ。」

 また。

 涙がこみ上げてくる。

 泣きながら。

 泣きながら彼にいろんなことを話した。











  簡単なことで考えや思想が変わるのは愚かなことだと思っていた。

  どれだけのことをやっても。

  どれだけのことをやられても。

  根底のものは変わらない。

  そう思っていた。











 あれから、何度もあそこに足を運び。

 何度も話した。

「死ぬって、何なのかな。」

「さあね。ただ、定朝は日々を覚悟して生きろといっているよ。」

「なんでよ。」

「わからないさ。」

 私は笑って、彼は笑わなかった。

 くだらない話もしたし、今みたいな話もした。

 私がしゃべるだけであっても、私は楽しかったし、救われた気がした。

 それから、半年ほど、それが続いて、学年があがり、三年になるとしばらくは孤立したままだった

が、しばらくすると向こうから話しかけてきた。

「ごめんね。」

 と。

 別に謝ってほしかったわけではないけれど、それで、大体の友達関係は元に戻った。

 でもそれからも、あそこには、何度もいったし。

 だけれども、そのことは誰にも、何も聞かれなかった。

 彼とはクラスが別になったものの、其処にいる。いつものところに。

 なのに、認識されていない。

 どんな気持ちなのだろう。

 彼のことだから、答えないとも思うけど。っていうか、答えない。絶対。そんな気がする。

 さらに一年が経ち、卒業式になった。

 最後の日、成績表を見せてもらった(というより無理やり見た)のだが、彼はかなり成績がよかっ

た。勉強をしてる風には見えないけれど。いつもここにいて。

 私はそのまま高校に行くけど、彼はどうするのだろう。そう思った。

 けれども、彼は何も聞かなかったし、私もなにもいわなかった。

 その日の夜、少しだけ涙が出た。









 それから、"彼"には会っていない。

 懐かしいとは思うが、

 会う気もなかったし、

 会いたいとも思わなかった。

 別に彼のことが好きというわけではなかった。

 嫌いでもなかったけど。

 それは、彼も同じだろう。

 私は同窓会にもいっていないし。

 彼もいっていないらしい。

 今でも連絡を取っている友達から聞いた。

 彼は、まあ行かないのが当然のような、彼はそう思っている気がする。私は、ただ、単に行く気がし

なかっただけだ。たいした意味などない。

 誰に聞いても彼のことを知らないという。

 私も名前など、もう思い出せない。

 或いは――

 元から知らなかっただけかもしれないが。みんなと同じで。

 卒業アルバムに載っているかもしれないが、どこにあるかわからないし、探す気もない。

 自分でもいたかどうか不思議に思うこともある。

 それでも。

 彼は、其処にいたし。

 存在していた。

 確固たる者として。

 生きていた。

 あの目と同じ色の空を見上げながら思う。

 





 今日の空は少しだけ綺麗だ 。






Fin




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